「出会い」-03 --------------------------------------------------------------- 目覚めると、部屋は白かった。 ここは、どこだろう・・・・俺は・・・。 俺は、生きているのか。 それとも天国って場所は、思ったよりも狭苦しくて天井が低いもんなのかな。 確かにそこは、天国というには狭すぎる気がしたが、自分が今まで 住んだどんな部屋よりも豪華だった。 壁は所々剥がれているが、木やコンクリートの剥き出しじゃなく 白い壁紙が貼ってある。 天井は、ちょっとシミが目立つが、穴も開いてないし梁が折れてもない。 俺にはこれくらいの天国がお似合いで、地獄に落ちなかっただけ 感謝しろってことかな・・・。 まわらない頭でボンヤリと考えていると、傍らに人が立った。 「よぉ、気がついたな」 ゆっくりと首を回して、その人物を見る。 袖を無造作に引きちぎった白い綿のシャツ。 肩口からは丸太のように逞しい腕が突き出し、盛り上がった ぶ厚い胸の上でその両腕を組んでいる。 いや、確かにかなり鍛えた体はしているが、実際にはそう 非常識な程、大きな体ではない。 生まれ育ったスラム街には、驚くほどの大男もいた。腕一つとっても 比喩ではなく丸太ほどの太さなのに比べ、男のそれは半分程の太さしかない。 しかし限界までに凝縮されて内在する、鋼のような力としなやかさが その男の体を実際よりもずっと大きく見せていた。 そして何より、男の目。 意志の強そうな黒い大きな瞳は、ちょっと見ると子供のように素直でまっすぐだが 少し奥を覗こうとすると、途端に飲み込まれてしまうような危険を感じる。 飲み込まれ、体中を射抜かれるような、強烈な視線。 だが口元は、何が嬉しいのかずっとニコニコと笑っている。 無邪気な虎といった、矛盾した印象。 こいつ、強いな・・・・。 俺が運悪く自分より数段強い相手に会った時の対処法はたった1つ。 まず、逃げる。 そして逃げ切れない時は、戦う。 戦って、運良く勝てばよし。負けたとしても、死ぬだけだ。 さて、逃げられるかな・・・・十中八九、無理とは思うが・・・。 そんな自分の胸の内を知ってか知らずか、男は笑顔のまま 横たわる体の背中に手を回し、そっと上体を起こさせた。 「おい、これ飲め」 男がサイドボードの上の端の欠けた茶碗を差し出す。 すごい匂い。すごい色。なんとも形容しがたい液体が入っている。 目をつむり、息を止めて一気に飲み下す。 思わず咽そうになるが、ぐっと堪える。 「よしよし。見かけより素直じゃねーか」 ・・・・別に素直なわけじゃない。 今、俺の命はアンタが握ってるんだ。 飲めと言われて飲まなければ、気分を害したと言って殺されたって変じゃない。 毒が入っているかもしれないが、それならそれで仕方の無いことだ。 俺を殺すと決めた奴に、命乞いをするような面倒な真似はしない。 だがまだ俺への処分を決めかねているようなら、試しに飲んでみた方が 逃げ切れる可能性が高くなるってだけのこと。 全ては、運と確率の問題だ。 素直といわれて何も答えず、関心がなさそうに顔を逸らした自分を、 男は興味深そうに眺めてる。 「お前、名前は?」 細い体を再びベッドに寝かせつつ、男が聞く。 「・・・・カイト」 「そうか。俺はジンだ。カイトか、いい名前だな」 何を言われたか一瞬分からず、間の抜けた表情になる。 なんだって?俺の名前が、なんだって? 「いい・・・・名前?」 そんな事を言われたのは、真実初めてだ。 「ああ。カイトって凧のことだろ?空の上ってのは、下から眺めて想像するよりも ずっと風圧が強くて暴風が吹き荒れてる。そんな凶暴な風の力にうまく乗っかって 自由にしなやかに飛び回るのが凧だ。何となく、お前のイメージにぴったりだよな」 ・・・何なんだ、この男は。イカレてるのか? 誉められることが初めてなわけじゃない。 同じ街に暮らす似たような境遇の子供達は、いつも自然に カイトの周りに集まってきた。盗みや強請りを安全に 効率よく行うための指示を与えてくれる、強く賢いリーダーを求めて。 そんな者達が口にするカイトへの賛辞は 「頭が切れて身が軽く、どんな犯罪に関しても天才的」とか 「ヤバい時も冷静で、殺る時は殺る度胸の良さ」などなど・・・。 そんな信頼を寄せられるほど、いつもカイトは何かぼんやり 不安になって、必要も無いのに仲間を売ったり私刑を行い、仲間が 自分から離れていくように仕向けた。 そんな俺に向かって・・・何だって?自由?しなやか・・・・? 思ったよりも、ヤバい男かもしれない・・・そう考えたが、すぐに 納得のいく答えを見つけて、カイトは少し安心した。 そうか、こいつ・・・別に珍しくも無い。ただの変態野郎だ。 カイトが卑下た男達の慰み者になったのは、1度や2度じゃない。 ただしそれは、ボコボコにされて半分意識がない時に限ってだ。 正気であんな拷問に耐えられるほど、俺の神経はまだイカれちゃいない。 しかし俺は今、満足に動けない。 この変態オヤジがニコニコしてる間に、まぁ無駄だとは思うが 一応逃亡を試みるか・・・。 「あ、お前・・・今俺のこと、変な目で見ただろ!いやらしい事想像しただろ。 ったく、ガキがませてんじゃねーよ。お前のみたいなガリガリの、しかも わき腹に穴開けてるようなガキの青いケツの穴になんぞ、興味ねぇぜ。 ・・・まぁ、傷が治ってもぅちっと肉が付いたら、どうなるかは分かんねぇけど・・・」 男は一気にまくし立てて、最後にちょっと小声になった。 カイトは聞こえないふりをして、何とか自力で上体を起こし 片足を床に降ろした。 「おい、どこか行くのか?」 男はきょとんとした顔になる。 全く、よくクルクルと、表情の変わる奴だ。 「・・・・ああ、帰るよ」 「帰るって、どこへだよ」 アンタに関係ないと言いかけて、初めて室内の全てを見渡すと、 片隅に血にまみれたシーツが丸めてある。 ひねった体に、包帯が巻かれているのを感じる。 「さぁ・・・ここじゃない場所。手当て、ありがとさん」 ベッドについた両手に力を入れて立ち上がる。 腰に激痛が走ったが、表情には出さない。 痛みを顔に出したところで、良いことなどなにもない。 むしろリスクが大きくなるだけという事を、カイトは経験上学んでいた。 左半身がひきつったように痛んで、足を引きずりながらしか歩けない。 よろよろとドアを目指して部屋を横ぎる。 そんなカイトを男は引き止めもせず、支えもせずに見つめていた。 しかし、カイトの手がドアのノブにかかった時、低い真剣な声で言った。 「おい、取引しねぇか?」 ・・・・・ちっ。まぁ見逃してもらえるとは、思わなかったが・・・。 何も言わず、諦めたような顔で振り返る。 男は続けて、自信満々の様子で提案する。 「まぁ聞けよ。俺はお前に食い物と住む場所を提供する。 そしてお前は俺に付いて修行して、強くなる・・・。 どうだ?悪くないだろ?」 ・・・・・は? 何言ってんだよもぅ、このイカレ変態オヤジは・・・ 呆れるより早く笑いが込み上げ、思わず噴出していた。 「何だよ、何笑ってんだよ。失礼な奴だな」 男はムッとした様子で再び腕を組み、ふんぞり返る。 「だって・・・それ変じゃん。取引って言わねぇよ・・・」 傷は痛むが、なかなか笑いが止まらない。 「どこが変だって言うんだよ」 「取引ってのは、交換条件だろ?お互いにメリットがなくちゃ 取引とはいわないだろ。俺は食料とねぐらを確保できる。 そして生活の心配もなく修行して強くなれる。 俺に良い事ばっかじゃねぇか。」 「そう言われると・・・そうか。」 男は妙に納得した顔になる。 「お前、頭いいな」 他の者がいえばただの皮肉だが、男は本当に感心した口ぶりだ。 「騙されないなら、仕方ない。白状するか・・・」 そらきた。おためごかしはいいから、とっととその変態ぶりを披露しやがれ。 「実は俺は、格闘マニアだ」 ・・・・・・・・・・。 「あぁ・・・・・それで?」 呆れるのも馬鹿馬鹿しくなってきた。 「強い奴を求めて旅をしてるが、なかなか俺に敵う奴に出会えない。 もうこうなったら自給自足だ。隣の畑に旨そうな食い物がなかったら 自分で作るしかねぇだろ。つまり強い奴を育てて、いい頃合になったら 俺と勝負させる!互角に戦えるまで、シゴキまくるのさ」 男の演説は、まだ続く 「お前はなかなか見込みがありそうだ。上手く育てれば、早々に 暇つぶしになるくらいには強くなる。 もちろんその間、弟子として俺のいう事には絶対服従。 俺の身の回りの事なんかを・・・・そう、おれの身の回りの世話を させりゃいいんじゃねぇか。俺はお前の生活の面倒を見る。 お前は俺の身の回りのことをする。そんでついでに修行する。 いいぞ、取引っぽくなってきた!どうだ、悪くないだろ!?」 なんだかなぁ・・・まぁ殺される心配は、なさそうだが・・・。 そうだな、悪くないかもしれないな。 もちろんこの男の言う事を全て信用したわけじゃないが (というより、これっぽっちも信じちゃいないが) そう、悪くない・・・。 このまま外へ出ても食料の調達すら難しいし、 のたれ死ぬ可能性は高い。 少なくとも、この傷が癒えるまで騙されておくのが良さそうだ。 逃げられるようになったら、逃げればいい。 その前に殺されちまっても、運が悪かっただけのこと・・・。 「ああ、わかった。それでいいよ。」 「お、そうかそうか。そりゃあ良かった。 じゃあベッドに戻って、とっとと寝ろ」 「ああ・・・・・」 適当に返事をした後、ふと思いなおして、訂正した。 「いや、・・・・はい。」 「なんだ、”はい”ときたか、どういう風の吹き回しだ?」 男はびっくり可笑しい顔をして、またもやでかい声を張り上げる。 「どういうって別に・・・アンタ、俺の師匠なんだろ。 じゃあ返事は”はい”だろ」 「・・・・・・・!」 俺が言い捨てた途端、男は・・・いや、ジンと名乗る俺の当面の師匠は 腹を抱えて爆笑した。 →Next                     (040224) ------------------------------------------------------------------------ →トップ