「imprinting」

ここはグリード・アイランド。略してG.I.
この島を舞台に繰り広げられる予定の、島と同名のハンター専用ゲームはまだまだ製作の途中。
しかしゲームマスター達が寝泊りする城は、長期に渡る施工の拠点にするため早い段階から完成していた。
平和な島の平和な青い空に、今日もゲンノウやカンナの音が響き渡っている。

「ジンさん」
「ん〜‥?」

城の一室。豪奢なジンのプライベートルーム。
カイトは常にドタバタと走り回る師匠がやっと腰を落ち着けたの見つけ、遠慮がちに声をかけたのだ。
部屋の主はソファにもたれ、書類に目を落としながら鉛筆でコリコリと頭をかいている。

「どうした、修行終わったか?」
「うん、はい」
「手抜きは?」
「してない」
「で、なんだよ?」
「‥‥あのさ‥」
「あぁ」

「ミズミシキってなに‥?」

カイトの言葉にジンはやっと顔を上げ、ちょっとばかりカイトの顔を眺めた後、手にしていた数枚の書類をテーブルに放る。
途端にきらびやかな色彩がテーブルクロスのように広がった。
完成間近のカジノで行う、ショーの計画書らしい。
猛獣使いに奇術師、コメディアン。一流のエンターティナー達のプロフィール。
そしてカジノ最大のホテルには専用の劇場を作り、世界最高のパフォーマンスを見せる高名なサーカス団を目玉にする予定だ。
書類の表紙の写真では団長自らがピエロに扮し、左手を胸に、右手を高々と掲げ、「ようこそ」と言わんばかりに恭しく腰をかかげている。
真っ赤な三角帽子に真っ白なドウラン。
目を縁取る不気味なメイクに、ピカピカ光る真ん丸い赤い鼻。
カイトはその怪しげな風体に一瞬目を奪われたが、特に興味も感じなかったらしく、すぐに師匠に視線を戻し不安げな顔で返事を待った。

「水見式? 誰かに何か言われたのか」
「‥いや、そういうわけじゃ‥‥」
「ドゥーンだろ? どうせ」
「‥‥だいぶ練にも慣れたみたいだからって。 ミズミシキ、早くジンさんに教えてもらえって」
「ふぅ〜ん‥‥‥だいぶ慣れた、な。 お前もそう思うのか?」

冷めた口調にカイトは思わず首をすくめる。
面白くもなさそうな顔を作ってジンは思う。
慣れたなんてもんじゃない。
そこらでチャチな発を使うハンターよりも、カイトの練は何十倍も持続し、オーラも鋭く濃密だ。
確かに周囲から見れば、カイトが自分の系統すら知らないのは不思議だろう。
まるで『後方伸身2 回宙返り2回ひねり下り』を易々とこなす体操選手が、逆上がりを知らないようなものだ。

別に水見式を‥‥念の次のステップを、カイトに隠していたつもりはない。
というか、忘れていた。
だってカイトはまだ、ほんの子供だ。
自分が念を身に付けた年齢も、寝食を忘れるくらい夢中で修行した昔も、我ながら棚に上げているとは思うが。
ジンとしては、基礎体力の向上や念の基本となる練・凝・堅・流‥‥つまりカイトの土台となる器をより深く、より丈夫にすることしか頭になかった。
それと読み書きと、挨拶の仕方と、食べられるキノコの見分け方と。
こいつはもう、生きるためだけに生きてたノラ猫じゃない。生活の為の知識だって重要だ。
人は念のみで生きるに非ず、だ。
水見式なんかしなくても、本人が楽しければ勝手に応用技を編み出すだろうし、大きく育った器に何を入れるかはカイト次第だ。
いつの日かカイトが望むのなら、念の極意と呼べるものを教えないでもなかったが、別に無理にハンターにさせるつもりは無かったし、本人が何に興味を持つかが大切だと思っていた。

でもまぁ別に、知りたいってんなら教えてやるのは構わないんだけどさ、水見式くらい‥‥。
けど、言いだしっぺがドゥーンってのがなぁ。
ここで教えちまったら、俺って言いなり? なぁ、この俺が奴の言いなり?

「で、お前は当然ハッキリ言ったんだろ?」
「え、なに‥」
「なに、じゃねーよ。

『俺の師匠はジンさんですから、修行のことに余計な口挟まないでください!』

‥‥って言ったよな。ハッキリ。当然。」

ギロリとカイトをにらむ。
腹の中のくすぐったさを隠して。
ジンはよく知っている。
この身寄りの無い、稀有なほど清い精神を持つ少年が、島の仲間達を本当の家族と慕っていることを。
危険を伴うハントに出る時、島の仲間がカイトを預かり、どれほど慈しんでくれたかを。
誰しもが一流のハンターだ。ガキのお守りの経験など無く、面倒事といってしまえばそれまでだったろうに。
実際ジンは、感謝していた。彼らには安心してカイトを任せられるとも思っている。
しかし「思う」ことと「言葉にする」ことは、ジンにとっては全く別の問題だ。

「い、言った‥‥気も、する‥‥多分‥?」

律儀なカイトが、しどろもどろに律儀な嘘をつく。
保護者達が揃いも揃って一癖あった割には‥‥またはそれが反面教師として功を奏したのか、カイトは妙に素直にまっ直ぐ育った。
常にギラついた殺気を放っていた少年が、この本質を見せてくれるまでにはジンなりの苦労もあった。

「そうか、キッチリ啖呵きったわけだな」

噴出しそうになるのを誤魔化すように口元を押さえ、ジンは一つ咳払いをした。


*****


「啖呵をきったお前には悪いが、まぁここはドゥーンの野郎の顔を立ててやらなくもなくもなくもない」
「はぁ」
「時にカイト」
「はい」
「念の6つの系統は知ってるか」

カイトは白い頬をふるふると振る。

「なんだよ、あいつお節介焼くんなら最後まで焼けっつの‥」

ブツクサ言って頭をかく。
ジンは器用で頭が良いし、感覚に優れ話も上手い。
しかし己の中で全ての理屈を完結できる鬼才は、得てして教え下手で面倒くさがりだ。

「まーやって見せんのが早いだろ」

手近かにあった紙を丸め、しばし見つめる。
急にヒヤリと冷たい空気がカイトの足元を覆った。
夏の部屋がたちまち冷凍庫のようになり、思わず両腕で体を抱きしめる。
「なに、これ‥」
冷気の中心にある紙には霜がついて凍りつき、ジンがそっと指で触れた途端、パキパキと音をたてて砕けた。

「‥う、わっ‥‥」
「これが変化系。んでこれが‥‥操作系。 ちょっと寒いな、快適な部屋にな〜ぁれ」

凍って砕けた紙が浮き上がり、蝶のように舞う。
ヒラヒラと絡み合う度にキンと涼しい音を立ながら部屋の方々に散り、全てのドアと窓に貼りついた。
呆然と眺めていると、手も触れないのにドアも窓もハタハタと開き、暖かな潮風が流れ込んでくる。
融けた紙がヒラリと床に落ちた。

「へー‥‥」
「お次は強化系。凝で見てろ。まぁ普通にしてても見えるだろうが」

そう言ってジンは、カイトの目の前に人差し指を1本立てた。
部屋の空気が僅かに揺らいだように感じた。
ジンを見上げると、気負いの無いいつもの笑顔がやはりカイトの顔を見つめている。
もう1度指先に目を戻すと、いつの間にか人差し指のほんの先端に、小惑星の核(コア)が宿っていた。

目の前の圧倒的なエネルギーを、にわかに信じられなかった。
全てを焼き尽くす真っ白な熱が、極々小さな1点に凝縮されている。
本能的に危険を感じ、一歩退いた。

「これで触れたらどうなるか、分かるだろ?」

ぎこちなく頷く。額に汗が流れた。

「で、放出系っと」

ジンが軽く手を振ると、峻烈にスパークする小さな光は指先を離れ、開け放たれた窓の方へとゆっくり泳ぐ。
窓を抜け外気に触れた瞬間だった。
蛍の光ほどの大きさだったそれが、爆発的に膨張した。
まるでビッグバン。音もなかった。
眩しさに目を覆った。瞼を通しても視界が白い。
「‥っ‥!」
頭をかかえ、思わずしゃがみこむ。うっすら開けた視界にジンの余裕の足元が見え、地響きと共に揺れた。
遠くの爆音にゆっくりと顔を上げると、奇妙に島が暗い。
遥かな沖で、天空を覆う水しぶきが上がっていた。

「‥‥‥ジンさん‥‥」
「おう」
「1人で全系統とか、アリなの」
「まさか。 一人一系統だ。 特質は知らんけど」
「じゃあジンさんは何系なんだよ!? 一体‥‥」
「あー? 俺は何でもできんだよ」

ジンはへらりと笑って取り合わない。

「いくつやった?」
「4つ 変化と操作と強化と放出」
「そっか、特質系はまたちょっと別なんだ。俺でもちょっと無理。インチキならできっけど」
「うん」
「あとはー‥‥具現化系か」

ゆっくりと片手を持ち上げ、ウェイターのように手の平を上に向ける。
ジンは瞳をクルリと回した。
強化と放出のコンボ技を見せた時の、カイトの表情に満足していた。
小技を披露し、弟子を驚かすのにも飽きてきていた。
これを終えたら水見式をやると思うと、カイトが何系なのか俄然興味が沸いてきた。
興味がわいたら早く知りたい。すぐに知りたい。

何にするかな。‥‥何でもいいよな、別に。

ジンの唇がそう小さく動き、チラリとテーブル上の書類に目が行ったが、カイトはジンが掲げた手の平に夢中で気づかない。

「ま、いっか‥‥そら!」

ぽふんっと、間の抜けた音がして白く煙が立った。
ポカンと口を空けたカイトの目の前。
ジンの手の平に、可愛い少年ピエロの縫いぐるみが乗っていた。

「これが具現化系だ」
「‥‥‥」
「何だ?」
「え、いや‥‥」

えぇー‥‥何ソレ。‥‥他の系統は、あんなに‥‥‥。

カイトはあからさまに不満気な顔だが、ジンはもうそこらにグラスを探して気づきもしない。

「お、これでいいか。あとは葉っぱだ。 さぁカイト!水見式やるぞーっ!」

俺、具現化系だけではありませんように‥‥。
カイトの必死の祈りにも気づかず、ジンの張り切り声が部屋に響いた。


*****


スキップするほどの上機嫌でもなかったが、鼻歌が出る程度には気分が良かった。
ハンターになり念を覚えても、体を使ってモノを作り上げるのはやはり楽しい。
今日の作業も至極順調に進んだ。
途中、沖で原因不明の水しぶきが上がり、津波が浜を襲い地が揺らいだが、建築中のビルの基礎はビクともしなかった。
当たり前だ。誰が設計したと思ってる。
それにあの程度のアクシデントは、あの男と行動を共にしていれば日常茶飯事だ。
頑固だが気の良い昔気質の職人たちと汗を流し、労働の後には風呂で疲れを癒す。
リストは呆れていたが、城に総ヒノキの大浴場を作ったのはやはり正解だった。

ドゥーンが首にかけたタオルで顔を拭いながら廊下を歩いていると、一室のドアが細く開いていて、小さな金髪の頭が見えた。
くされ縁の人格破綻者が、破綻者なりにそれは大切に育てた弟子。
幼少時の環境からか多少人見知りで無愛想だが、根が素直で真面目な少年は、自分にとっても大事な養い子だ。

「よーぅ少年!調子はどうだ? 水見式、やらせてもらったか!?」

言いながら勢いよくドアを開いたが、思わず足を止め、入り口に立ち止まる。
すぐ傍らにソファがあるというのに、カイトは床に座り込み膝を抱えていた。
後姿の背中にドンヨリとした黒い空気が漂っている。
ドゥーンの好きな日本の漫画なら、縦じまの線が後頭部いっぱいに引かれているはずだ。

「ど、どうしたよ‥‥!?」
「‥‥なんでもない」
「何でもないわきゃねーだろが!
 そんな重い空気背負ってまだ夕方だってのに、部屋まで真っ暗じゃねーかっ!」
「‥‥ドゥーンさんの念はさ‥‥何系、なの?」

暗い背中を見せたまま、カイトの膝を抱いた手に、キュッと力がこもった。

「お、俺か? 俺は‥‥つか、水見式やったのか、やったんだなっ!?
 で、どうだったよ! え、どうだった!? 緊張して練ができなかったとかっ!?
 そんなコトなら気にするこたぁ‥」
「‥‥だった」
「へ? 何だって?」
「‥‥エロ、だった」
「は? エロ!? ‥‥なぁ青少年。
 実際そういう年頃なんだろうが、念にはエロなんて系統はねぇよ」

よく分からないが、少し可笑しくなってガッハッハッと大きく笑うと、カイトはキッと振り返る。
色白の頬は紅潮して涙でベタベタ、その上に新たな雫が滝のように流れている。

「違うっ!! ピエロッ!! ‥‥俺、ピエロの‥‥系統だった‥」
「はっ‥‥ぁ!?」
「俺、凍らせたり、光がボカンと爆発するのが良かったのに‥‥せめて部屋が自動で動くやつとか‥」
「ちょっと待てっ!! ぴえろのけいとうだぁ〜? 部屋が自動で‥‥なんだそりゃ!?
 お前、ジンに何て聞かされたんだっ!?」
「え、だから‥‥えと」

思えば説明らしい説明は一切なかった。
ジンはただ、系統ごとの能力を実践で示しただけだった。
そして水見式を行いカイトが具現化系だと知ると、フンフンと頷き、ちょうど打ち合わせに呼びに来たエレナに付いて行ってしまった。
呆然とするカイトに、「今日から具現化の修行しろよ!」とお気楽に手を振って。
カイトの落ち込みの原因を聞き、そしてまだ泣き癖が止まらずヒャクッと一つしゃくりあげるのを聞いて、ドゥーンは深々とため息をついた。

「なぁカイト‥‥あんま聞きたくねーんだけどよ‥。
 ジンはどの程度教えてくれた?」
「どの程度?」
「だから、念についてだよ。今までどんな念の修行した?」
「初めはマラソンと腕立て伏せばっかり」
「‥‥質問かえような。 お前は毎日練を頑張ってるが、練って何だと教わった?」
「‥えーと、毎日続けたら、体が丈夫になって風邪ひかなくなるって」
「‥‥‥」
「寝起きも良くなるし、疲れにくくなるって」
「‥‥‥‥‥」

念はヤズヤのコウズかっての。

「あ、あと!」
「うん?」
「腕力がついて、ケンカも強くなるって!」

やっと泣き止んだカイトのはにかんだ笑顔を見て、眩暈がしてきた。
そんな適当な説明じゃあなぁ‥‥。
察しのよいカイトだから、ジンの示した小技だけが念の全てとは思わなかったろうが、それらが系統ごとの基本技だと誤解した。
ジンが強化系であり、その上呆れるほど強くなりすぎたのも誤解の原因の一つではあったが。
すでに戦闘において、ジンは技らしい技を使う必要はほとんどなかった。
微弱なオーラを纏った状態での体術のみの戦いで、かなう敵などいなかったから。
故にカイトが念特有の不思議な現象を見ることはほとんど無かった。
カイトをビビらせる為だけに仕掛けられた、ジンの悪ふざけ以外には。

要するに、不可抗力でもそうじゃなくても、つまりは全部アイツのせいだ。
世界で5本の指に入る念使いの、たった一人の最愛の弟子は、念の知識において世界で5本の指に入るほどの無知だった。

「あんなぁカイト‥‥くそ、ジンの奴‥‥。
 あいつがやって見せたのは、言ってみればモノの例えだ。
 例えば変化系なら、オーラを冷気に変える奴もいるだろうが炎に変える奴だっている。
 具現化系だって、別にピエロじゃなくてもいいんだよ」
「ピエロじゃなくても‥‥じゃあさ、縫いぐるみじゃなくってもいいの」
「ああ」

見開いた無垢な瞳に思わず微笑んだとき、カイト足元に2頭身のピエロの縫いぐるみを見つけ、また頭が痛くなる。
ジンが諸悪の根源であることは間違いないが、カイトも若干師匠への傾倒が強すぎるかもしれない。
実力はあってもまだ子供。
ジンの言うこと為すこと、カイトにとっては全てそのままの意味で真理なのだ。
根拠を必要としない信頼。まるで刷り込み。
生まれたばかりの雛鳥のように、こいつはジンを信じてる。

ジンよ、お前信頼されてんだろうがよ‥‥だったらもーちっと発言に気をつけやがれ。
むしろ、もうちょっと発言しやがれ。

まぁ俺だって子育ての経験はないし偉そうなことは言えないが、ジン一人には任せられない。
出来損ないの親鳥たちなら、質より数で勝負だ。

「あー、カイト。 あのさ、お前ならさ、何だって具現化できるって」
「あ、うん‥」
「お前くらいオーラが練れりゃあ、きっと今すぐでも具現化できるぜ!
 つってもイメージ修行してねーから、ビビッと直感に来る簡単なモンだろうけど」
「そ、そうかな‥」
「あぁ! ホラ、ちっとやってみろよ! 俺に見せてくれよ、お前の能力をさ〜!」

カイトはおだてに乗る子供ではなかったが、憂いの種が消え気分が高揚したのだろう。
子供らしい得意げな笑顔を見せて、ジンがやったのと同じように片手を構えた。

「よーし、まずは意識を集中して手の平に凝だ。
 んでオーラがMAXになったら手の平に重みを感じろ!
 いいか、脳ミソ経由して考えんなよ? 無心で行け!!」
「うん!」

カイトが静かに目を閉じると、淀みないオーラが体を包み、徐々に手の平に集約していく。
悠然として一見穏やかだが、常人に感じられるほど強い。
一心に集中する表情は幼く、穢れない白金のオーラはカイトそのものだと思いながらドゥーンは待った。
額にわずかに汗が浮かぶ。
手の平に浮かぶ蜃気楼が揺らめき、カッと瞳が見開かれた。
渇いた音が弾け、白煙があがった。
ドゥーンが身を乗り出す。
カイトが息を呑む。









「ケケケケケッ!! お初にお目にかかる、俺の名は気狂いピエロ‥‥」








二人のポカンと開いた口が閉じるまで、あと何分‥‥?





end.                                                 (060607)

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