「我侭な貴方」 ------------------------------------------------------------------------ 麗らかな日差し。開け放った窓からそよぐ南風が頬をなでる。 最高にうたた寝日和な春の午後。 ジンはソファで本を開くカイトの膝に頭を預け、長い髪の毛先を摘んで 頬をくすぐったりと暫く一人遊びをしていたが、やがてそれにも飽きると 眠たげな声で呼びかけた。 「なぁカイト‥‥‥暇だなー‥‥」 「‥‥んー‥俺今、いいとこ‥‥」 「いいとこって、本?」 「うん‥‥はい」 「何読んでんだよ」 もぞもぞと上体を起こしカイトの手元を覗き込む。 しかしカイトの長い指に隠れ表題が見えない。手を伸ばし、ツツとカイトの指先を 押しのけた。  『初冬のソナタ』 その文字と、どこか遠くを見つめるメランコリックな女の横顔が飾る表紙を見て 思わず呆れた声をだした。 「‥‥なんだこりゃ?」 「‥‥‥」 「おい、カイトっ!!」 「‥‥へ?何?」 「こりゃ何だって言ってんだよ。恋愛小説じゃねぇかっ!」 「あぁはい、そうですね」 「そうですねって‥‥‥何でそんなもん読んでんだ。買ったのか?」 「上の物置部屋片してたら出てきたんですよ。ペラペラめくったら  止まらなくなって‥。ジンさんのじゃないんですか?」 「俺がそんなもん読むわけねぇだろ。‥‥けど見たことあんな。  あ、思い出した。イータの忘れモンだ」 「へぇ」 「‥‥面白いのか?」 「‥‥‥ん‥?」 「なぁ」 「‥‥‥‥‥」 「おい‥‥」 「‥‥‥‥‥」 「おいってばっ!!」 「‥ふへっ?は!?」 「面白いのかって聞いてんだよっ!!」 「えぇまぁ、はい」 「‥‥ふぅん‥。恋愛なんてのは読むんじゃなくて、するもんだと思うがな」 「はぁまぁ、そうですけど‥‥‥あの、借金のカタに嫌々結婚するんですよ」 「‥‥はぁ?」 「いやだから、主人公の女が。んで好きな男と駆け落ちするんです。でもそうすると  女の家族は野たれ死になんです。‥‥この女って我侭ですか?」 「ぁあー?知るかよ、そんなこと‥‥」 「はぁ‥‥‥」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 「カイト、暇なんだが‥‥」 「‥‥‥‥‥」 「カイト‥‥」 「‥‥‥‥‥」 「いいよもぅ、話しかけねぇから。邪魔して悪かったな」 「‥‥‥‥‥」 ‥‥ったく、これだから単細胞の朴念仁は‥‥。 一度に一つの事しかできねぇんだよなー。 ムッツリとした視線を横顔に当てるが本に没頭したカイトは気付かない。 暫くノタノタと寝返りを打っていたがゴロ寝にも本格的に飽きてきた。 かといって晴天の春の日にカイトと共有するこのソファは、立ち上がって行動を 起こすには惜しいほどのヌクヌクとした心地良さだ。 あ―――‥‥ヒマ‥‥。コイツ、俺を何だと思ってんのかな。 俺はもうただの同居人でも親代わりでもないってのに。 ちゃんと分かってんのかよ‥‥いや、分かってねぇだろなぁ‥‥。 いいけどさ、別に‥‥。 溜息まじりの大きな伸びをすると、天井に向けて伸ばした腕の 小さなホクロが目に入った。 ‥‥‥‥‥‥。 チラリとカイトを見やる。口を半分あけたまま食い入るように本を読んでいる。 時々僅かに唇が震える。集中する余り、無意識に唇で文字を追っている。 せっかく楽しそうに読んでんだ。邪魔しちゃ可哀想だよな‥‥。 しかし一度頭に浮かんだ退屈しのぎにもってこいの遊びをもう我慢なんてできない。 ズリズリと体を移動させ背後からカイトの腰を抱きかかえる。 カイトは緩慢な動作で腕から逃れようとするが視線は本に張り付けたまま。 そのまま背中に体重を預け、折り重なったままゆっくりとうつ伏せに押し倒す。 シャツをたくし上げ背中を剥きだしにする。 「ぅんー‥ジンさん、何やってんすか‥‥」 自分の体勢をいまいち理解できないまま、カイトは不満げな声をもらすが まだ本から顔を上げない。 ポツ‥‥ポツリ‥‥‥ ジンはひどく満足げな顔で頬杖をつき、なだらかに波打つ背中の一点一点を 人差し指で押していく。触れる皮膚は柔らかく、押すと張詰めた感触が指先に心地よい。 シャツをさらに捲り上げ肩まで剥きだしにする。 不規則な点を2つ、3つと、堅い指先でなぞられて、こそばゆさに思わず カイトが顔を上げた。 「な、何‥‥?」 「ぅん‥‥」 「何やってんすかっ!?」 「んぁ‥‥ホクロ数えてんの」 「ホクロ!?」 「そう、ホクロ‥‥って、あーっ!!話しかけんなよっ!  分かんなくなっちまっただろっ!!」 「あ、す、すいません‥‥」 「‥‥‥ったく‥!」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 ‥ポツ‥‥ポツリ‥‥‥ 「‥‥ジンさん」 「んー‥?」 「ジンさん、くすぐったい」 「‥‥あぁ」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 「‥‥‥ぅ、ひっ‥‥」 「変な声出すなよ。ぁ、動くなってっ!」 「‥‥だって、くすぐったいっ‥!」 「黙って本読んでろって‥‥あぁもぅっ!!また分かんなくなっただろーっ!!」 「すいませ‥‥ひぁっ!ちょっ‥‥」 「うなじの辺りにもあるな。髪持ってろお前。本読んでていいから」 「あ、は、はい‥‥?」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 ‥ポツ‥‥ポツリ‥ カイトは意識を本へと戻すが背後の刺激に気が散って、気が付けば 同じ箇所を何度も読んでいる。 硬い指先の感触が、いつの間にか柔らかな唇の感触に変わり、 やがて湿った舌先の感触へと変わっていく。 ちゅっ‥‥ちく‥‥‥くちゅり‥‥ 「‥‥ジンさん」 「ぅん‥‥?」 「ジンさん、何やってんすか‥‥」 「だからホクロ数えてんの」 「じゃあなんで舐めてんですかっ‥!」 「口で数えねぇと、しゃべっちまうと分かんなくなるから」 「‥はぁ‥‥‥」 「‥‥ぁ」 「え?」 「また分かんなくなった‥‥」 「‥‥‥」 「お前煩いよ、話しかけんな。本読んでろ」 「え、でも」 「うるさい」 「‥‥‥すいません‥」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 ちゅっ‥‥ちく‥‥‥くちゅり‥‥ 舌先の動きが点から線へ。背から腰へかけて長く這い、 いかにも楽しげな唇が緩急自在に柔らかな肌を吸い上げる。 ちゅっ‥‥ん‥‥‥くちゅ‥‥ちゅ‥ 「‥‥ジンさん」 「‥‥‥」 「ジンさんっ」 「‥‥‥何だよ」 「何やってんすかっ!!」 「だからホクロ数えてんだって。分かんねぇ奴だな」 「ホクっ‥‥ちょっ!ズボンっ‥‥はなっ‥‥!」 「あ、何すんだよっ!!」 「ズボン離せっ!!」 「脱がなきゃ数えらんないだろっ!」 「数えなくっていいですってっ!!」 「だって暇なんだよ!お前は本読んでりゃいいだろっ!!」 「暇だからってズボン降ろさないでくださいよ!!」 「背中だけ数えたって意味ねぇじゃねぇか!」 「全身数えたって意味なんかないですよっ!!」 「意味あるから数えてんだろ!?」 「俺の体のホクロ数えんのにどんな意味があるんですかっ!!」 「そりゃっ!だから‥‥‥‥!」 「‥‥‥‥だから?」 「‥‥だからさ、もし‥‥もしもだぞ?その、借金のかたにお前を取られそうになったらだ」 「はー!?ジンさんに借金なんて無いですよっ」 「もしもの話だよっ!!‥‥こう、借金取りがウチに押しかけてくる訳だ」 「だから借金ないし、ウチに借金取りなんて来ないから」 「もしもだって言ってんだろがっ!!‥‥で、奴らはお前に目をつけて言うんだよ。 『金が払えねぇならコイツを貰っていくまでだ!こいつは上物だ。 さぞかしいい値段で売れるぜ、げっへっへ』」 「‥‥俺は男でいい歳だし、あんまり高値で売れません」 「もーしーもーだってっ!!‥‥そしたら俺は涙ながらにこう言うな。 『それだきゃー堪忍してくれ。他のモンなら何でも呉れてやるがコイツを持って いかれちゃあ、オイラは一日たりとも生きちゃいられねぇ、ベンベンベン』」 「‥‥‥‥‥‥」 「借金取りはこう言うね。 『そんなに言うなら考えてやらねぇこともねぇ。一つテストをしようじゃねぇか。 さぁ、こいつの体にホクロはいくつある?キッチリ答えりゃコイツはお前のモノと 諦めて、潔く身を引こうじゃねぇか!さぁ、さぁ!さぁさぁさぁ!!』」 「‥‥‥‥‥‥」 ジンさん昨夜、寅さん見てたな‥。 「そこで俺はバシッと言ってやる訳だ。こいつの体にゃ大小合わせて可愛いホクロは 幾つあるってな。借金取りは俺の海より深い愛情に恐れ入谷の鬼子母神だ。 どうだ、数える意味あるだろ?分かるよな?」 「‥‥全然分かりません」 「まぁ‥‥‥そうだろな」 「そういう訳だから離してください」 「‥‥‥っ!」 「ほら、早く離してください。」 「‥‥‥‥うるせぇっ!!いーからお前は黙って本読んでろっ!」 「‥‥っ!や、ちょっ、はなっ‥‥せっ‥!!」 「大体お前が悪いんじゃねぇかっ!本ばっか読んでロクに返事もしねぇ!  ホクロ数えんのもダメ!そんな我侭通るとでも思ってんのかっ!?」 「俺ーっ!? 俺がいつ我侭を‥‥‥もー分かったからっ!!  本読むの止めますから離してくださいってっっ!!」 「‥‥えぇー‥‥いいよ、せっかく読んでんのに。俺の事なんか気にせず本読め」 「いやもう飽きましたっ!話ししましょう!俺、ジンさんと話したいです‥‥」 「‥‥‥‥話って何の話?」 「話はだから‥‥‥えーと、晩メシ何にします?」 「‥‥‥詰まんねぇ‥。やっぱホクロ数える」 「‥‥まっ‥じゃっ、じゃあうーんと‥‥うー‥‥あ、ジンさん!  ジンさんの一番好きな映画は?」 「ホクロの数だけ抱きしめて」 「‥‥止めましょう、映画の話は。えーと、あー‥‥そうそう、ハントだ。  次のハント、何しましょうか」 「無理しなくていいよ。本読みたいんだろ?」 「んな事ないですってっ!俺もスゲー退屈‥‥そうだ、何だったら今  すぐ出掛けて次のハントのリサーチを‥‥」 「‥‥‥‥‥‥やだ」 「や、やだって、そんな、子供みたいに‥‥‥」 「ハントよりホクロ数える方がいい」 ジンさん‥‥とてもダブルハンターの台詞と思えないんですが‥‥。 「そんでホクロ数え終わったらハントに行く。お前も出掛けるまでなら本読んでていい」 「―――‥‥っ!!!‥‥‥どっちが我侭ですか――――っ!!!!」 バカップルの平和な絶叫が森にこだまする、穏やかな春の午後‥‥。 end.                     (040910) ------------------------------------------------------------------------ →トップ