「約束」-おまけ
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突然、目が覚めた。
意識の深い場所で夢を見ていたようだが思い出せない。
窓から明るい朝の日差しが差し込んでいる。
起き上がり、自分が一糸纏わぬ姿だと気づいて慌てて毛布を胸元まで
引き上げる。こっそりと隣のジンを盗み見るとまだぐっすりと眠っていた。
広げた腕は今までカイトが横たわっていた所まで伸びていて
一晩中ジンの腕枕で眠ったことを知る。
ぼんやりと座っていたが体内を伝う異変に気がついて
ベッドを抜け出し、風呂場で熱いシャワーをあびる。
先ほど感じた異変の原因が、ツルツルと腿を伝った。
嫌な感じは、しなかった。
昨夜、耳元で囁かれたジンの声は、甘く優しいままだった。
それが乱れも掠れもしない内にカイトの意識は砕け散り
遂にその雄の声を聞くことはできなかった。
もしかしたら、気を失った自分を憐れんで
ジンは自らの快感を求めることを、止めてしまったかもしれない。
起きぬけ、自分の体がきれいなのを見て、そうカイトは不安に思ったが
そうではなかった確かな名残りを確認できて安心し、それを愛しいと感じた。
短くシャワーを終えて、考える。
こんな朝は、何を作ればいいのかな・・・。
ジンがやったことだろう。大根はゴミ箱に捨てられ、まな板とパンの袋は
キッチンの片隅に寄せられていたが、袋の口は空いたまま。
中のパンは乾燥して、焼けば食べられなくはないだろうが、気は進まない。
しばらく考え、外に出て食べられる野草を片手に一掴み摘んできた。
米から炊いて、薬草入りの朝粥にしよう。
食卓に野草置いた時、リビングに入ってくる足音がした。
「おはようございます」
「・・・・んぁあ・・・」
ジンはしばらくリビングの中央に仁王立ちになったまま
寝ぼけた顔で首元をぽりぽり掻いていたが
やがて思い出したように風呂場へ向かって行く。
シャワーを使うつもりだろう。
そしてあっという間にサッパリとした顔で台所に戻ると
まだ準備の出来ていない朝の食卓に腰を下ろした。
「旨そうだな。朝粥か」
「はい、すぐ出来ます」
食卓を間に向かい合い、カイトは立った姿勢で
野草を選り分けながら答える。その声はいつもの調子だし、
表情も柔らかいが何となく顔を上げられない。
ちょっと間をおいて、ジンが言う。
「今日も出かける。昨日の仕事の続きだ」
「・・・はい」
「お前も来い」
「えっ・・・?」
思わず顔を上げる。
「なんだ?」
「・・・いえ、あの・・・わかりました」
「なんだよ、おかしな奴だな」
ジンはクックと喉に笑いを押し殺すが、カイトは答えない。
どうやらジンさん、俺が逢引の現場を目撃した事には
気づいてないようだ。
すっかりバレてるとばかり、思ってたけど・・・。
そんなカイトの胸の内を知ってか知らずか、ジンは続ける。
「そういえば昨日の仕事の話をまだ、お前にしていなかったな」
・・・聞きたくない。
瞬時にそう思った。胸がチリチリと焼け付き、
昼間、偶然に見てしまった光景が頭に甦る。
しかしカイトには昨日の夜が長すぎて
それは遠い昔のおぼろげな記憶のように思えた。
ジンが余計なことを言わなければ、このまま忘れて
しまえそうだったのに。
ジンには、自分以外にも大切にする少年がいる。
この人の溢れるほどの優しさと愛情は、自分一人では
受け止めきれない。だから忘れていたかった。
ヘタな嘘で、また気持ちをかき乱されたくはなかった。
「今回の依頼人な、考えてみればお前も知ってる人物だ」
「・・・・・?」
あの美しい少年に、会ったこともなければ名前も知らない。
俺の目撃に気づいてないなら、何故そこまで嘘で塗り固める
必要があるんだろう。
それとも気づいた上で、どうにか辻褄を合わせるつもりなのか?
「前に野暮用で、お前にくじら島に行ってもらったことがあっただろ」
「はい・・・?」
話が意外な方向へ飛ぶ。
しかし確かに以前、仕事でくじら島でしか採取できない鉱物が
必要になり、カイトが使い走りに島を訪れた。
鉱石自体は、島のその辺にゴロゴロしているものなので
入手は全く問題ないが、ジンは息子の養育権での
裁判に負けて、その島に立ち入ることが出来ないという。
ジンの持つ力を考えれば、どんなにこちらに非があろうと
裁判に負けるはずはない。おまけに裁判所の下した制限など、
あらゆる意味でジンを拘束する力は、無いも同然のはずだが・・・。
そう疑問に思ったのと、船で船長に世話になったのとで、
その時のことはよく覚えている。
「あの島には空港が無いからな。船で行っただろ。
で、漁船以外であの島を航路に入れてる船は一艘だけだ。
髭面で赤鼻の船長、覚えてるか?パイプを咥えた・・・」
「あ、はい。素性を聞かれてジンさんの弟子だって言うと
操舵や風の読み方を教えてくれて・・・航賃も受け取って
もらえませんでした」
「ああ、そうだったな。俺もあの船長には世話になってる。
船の基本は、全部あのジーサンに教わったようなもんだしな。
それに初めて島を出た時、ゴンを島に置いてきた時・・・
まぁ人生の要所要所にあのジーサンの顔があったわけだ」
「はぁ・・・」
船長とあの少年と、一体どんな関係があるというのか。
「ずっと会ってなかったが、一昨夜そのジーサンから突然電話があった。
孫息子が自殺未遂を図ったとかで、半ベソかいて大騒ぎだ。
その孫息子のことなら以前から聞いていた。
ジーサンはもう、目に入れても痛くないほどの可愛がりようでな。
まだ若い男だが、優秀な科学者で専攻は化学。
ここからそう遠くない大学で、教壇に立ちながら
最近は主に毒物の研究をしていたそうだ。
そして今回の自殺未遂の背景には、その研究内容が
大きく関わっているらしい」
孫息子・・・彼が、赤鼻の船長の・・・?
「そこまでは何とか聞き出したが、ジーサン半狂乱でなー。
説明がさっぱり要領を得ない。だから俺は、孫息子とやらに直接会って
話を聞くことにした。だがその毒物とやらの詳しい情報が無い以上
お前を連れて行くのは危険だからな。俺一人で出かけることにした」
欠けていたジグソーパズルのパーツが、一つ一つ、埋まっていく。
「駅前の遊歩道で待合わせて、話を聞けばこういう事だ。
数ヶ月前から、彼の研究室で突然吐き気がしたり、頭痛がする者が
続出した。しかし彼だけは何とも無い。
大学側も扱うモノがモノだけに、綿密に調査をしたが原因は
解らない。そうこうする内に、仲間の一人と自室で研究上の問題点を
話し合っていた時だ。突然、相手が倒れ意識不明の重態になった。
原因は解らないが、自分のせいであることには間違いない。
今までの異変も、自分が原因だろうと気が付いた。
幸い友人は一命を取り留めたが、パニックになった孫息子は
その日のうちに手首を切ったというわけだ。まぁためらい傷が2筋3筋
ついただけの、軽症だったがな」
「・・・・・・。」
「そこまで聞いて、すぐに解った。彼は変化系の能力者で、
集中したり気分が高ぶると、念を毒ガスに変えて体外に放出する。
何かに特化した才能を持つ者が、それに集中しすぎたはずみに
念を身につけてしまうというのは、よくあることだ。
そして昨日も俺に事情を話す内に、だんだん気分が
高揚してきて、またぞろ毒ガスが発現してきた。
その毒性は俺には何てこと無いものだが、一般の通行人が
大勢いる場所だからな。慌てて俺は自分の念で、彼の念を包み込んで
毒ガスの流出を防ぎ、人気の無い場所に移動した。」
「念は身につけるまでは難しいが、一旦覚えればその操作には
それ程手間はかからない。まぁ操作の種類にもよることだが
出したり止めたりするくらいは簡単だ。
俺は彼に毒ガスの正体と、それを止めるコツを教えて
昨日は別れた。昨夜、その方法を試してみたはずだから
今日は上手く出来ているかを確認する。
優良なハンターは、アフターケアも抜かりないからな」
聞けば、何てことは無いことだった。
もはや嘘と疑う必要もないだろう。
あの時自分が落ち着いて凝を行っていれば、少年のか細いオーラは
見逃しても、それを覆うジンの念に気づかないはずはなかった。
そんな、ことだったのか・・・・。
膝から力が抜けていく。
あの船長からの依頼なら、ジンが一もニも無く引き受けるのはよく分かる。
「そんなわけだから、今日はお前も来い。
もう危険はないからな。しかし、こう長々と説明したり
わざわざお前も連れて行く必要はないんだが・・・
一つ気がかりなことがあってな」
「・・・・?」
なんのことだろう。
「俺はこう見えても、なかなかモテるからな。
まぁ当然といえば、当然なことではあるが。
で、俺に想いをよせるカワイコちゃんが、俺と若い男の怪しい現場を
目撃して、あらぬ誤解をしてたら可哀想だろ。
だからそういう子が居たら、お前からよーく誤解を解いておけよ」
・・・・・やはり、バレてたか・・・。
まぁ気づかないジンさんではないが・・・・。
顔が火照るのが分かる。
ジンが悪い訳じゃない。
あの時、冷静に凝を行っていれば・・・・
でも、そんな意地悪い言い方しなくたって・・・。
ここは精一杯の虚勢を張るしかない。
「・・・何のことですか?
誰かに何か見られて、誤解でもされたんですか。
俺は確かに昨日、あっちの方に行きましたけど
もう日も暮れかかる頃ですよ。
ジンさんは、ずいぶん慌てて朝早く家を出ましたよね。」
「いやぁ、別にお前の事を言ったわけじゃないんだけど・・・
そう感じたなら、失礼した。
ただ誤解した子がヤケになって、たまたま側にいた男に
身を任せてしまったりなんかしたら俺自身も可哀想だしなーと思ってさっ」
その憎々しげにニヤついた顔に、カイトは腹立ちを抑えきれない。
八つ当たりとは解っているが、皮肉の一つも言いたくなってくる。
「わかりました。まぁ絶対にそういう奇特な子がいないとは
言い切れませんから、居たら伝えておきますよ。
しかし、そうだったんですか・・・・。
あの船長の孫息子では、さすがのジンさんも手が出せなかったと
いうわけですね。
せっかくきれいな少年とホテルにまで行ったのに、残念なことでしたねっ」
精一杯の皮肉でやり込めたつもりだったが
ジンはまたもや、クックと押し殺した声で笑い出す。
カイトには、なんだかバカにされてるような非常に癪にさわる笑い声だ。
「・・・・何が可笑しいんですか?」
ムッとした様子を隠そうともせずに聞く。
「いや、だって・・・・」
ジンの笑いは止まらない。
「俺は若い男とは言ったが・・・彼の容姿も、まだ少年だとも・・・
ましてホテルに行っただなんて、言わなかったはずだがな・・・」
そこで堪えきれなくなったのか、ジンの笑いが爆発した。
息も絶え絶えになって言う。
「まぁ今日そのきれいな少年とやらに会って、俺の話が
嘘かホントか、よっく聞いてみるんだな。
話す前からずいぶんお疑いのようで、あんな怖い顔で睨まれんのは
もうごめんだからな・・・・」
カイトは答えることも出来ず、顔を真っ赤にしてうつむき
忘れ去られた粥が鍋の中で煮詰まっていたが
ジンの高笑いは収まる気配もなかった。
end.
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