「弟子入り」-03
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すでに無数の傷を受けていた。
出血はさほどでもないが鋭い紙で深く切ったような
キリキリとした痛み。知らず涙があふれてる。
何だって俺がこんな目に‥‥。
カイトの目下の敵は、まな板の上の玉ねぎ。
ナイフの扱いには慣れているから自信はあった。
首尾よく2つ切りにし縦に切れ目を入れたが、いざ微塵切りにしようとすると
細い短冊状の玉ねぎが、あっちに倒れ、こっちに倒れ、おまけに汁が目に染みて
視界が霞んで手元が見えない。気が付くと指は傷だらけだった。
昨夜、もう一度カイトが街へ行った時、すでにとっぷりと日は暮れて
商店街の店の看板は全て降りていた。
灯りが点いているのは本屋と酒屋と街のはずれの自販機だけ。
カイトは自販機でカップ麺を2つ買うと、とぼとぼと家路についた。
お湯を入れて、ジンの前に無言で置く。
事情を話す気はなかった。言い訳は好きじゃない‥‥というより、
今まで言い訳をする相手がいなかったので、どうやってよいか
わからなかった。
ジンがチラリと視線だけを動かしてカイトを見る。
思わず下を向く。
そんなカイトをジンはちょっとの間見つめると
「それはお前食っとけ。腹減ってんだろ」とだけ言って
あとはカイトの方を見ようともしなかった。
どうして自分はジンの視線にうつむいたのか。
また蹴り飛ばされるのが怖かったわけじゃない。
どんな屈強な男に睨まれたって、そんな事は一度もなかった。
わからない。わからないけど‥‥‥
明日は、まともなものを作ろう‥‥。
カップ麺と一緒に街の本屋で買ってきた本を、こっそりベッドに
持ち込んで開いてみる。そして夜が更けるまで熱心に眺めていたが
やがて睡魔が訪れて、カイトはいつしか眠り込んでいた。
翌日、カイトが『簡単!365日のおかずレシピ』の中から今日の夕食に
選んだのはハンバーグだった。
その本は難解だった。何種類かあった初心者向け料理本の中で
カイトがそれに決めたのは写真の数が1番多かったからだが、それでも
下ごしらえの説明部分は絵も写真もない。
湯がく‥‥湯通し‥‥‥これは熱湯で何かするんだろうが分からない。
丁寧に掬わねばならない「アク」というのは、どういうものだろう。
そんなこんなで悩んだが、唯一ハンバーグだけが意味不明の
言葉を使わずに終始写真入りで説明されている。
まず米をとぐ。ライスを炊くのは手間がかからないからな。
鍋が勝手に炊いてくれてる間にハンバーグと付け合せの
人参のグラッセ(と書いてあったが味は知らない)を作る。
ざっと段取りを決めると、さっそく玉ねぎの微塵切りにトライした訳だが‥‥。
玉ねぎ1個刻むのに20分を費やした。
思ったよりも不器用な自分にちょっと落ち込む。
水に浸けておいた米を鍋に移して火をかける。
(あらかじめ水に浸すと美味くなると、これも本に書いてあった)
肉の塊を、ダンダン叩いてミンチにする。これは簡単。
そしていよいよ玉ねぎと合わせてこねくり回す。
よしよし、本の写真とそっくりだ‥‥。
しかし次の項を読んで再び落ち込む。
『塩、胡椒を少々』
少々って‥‥少々って‥‥‥。
チラリとジンを見ると、モロに目が合った。
「なんじゃらほい」といった、とぼけた顔。
プイと目を逸らすと、saltと書かれた小瓶を手に取った。
パラリ‥‥パラリ‥‥。
10粒程の結晶が赤い肉の上に落ちる。
これでは少ないだろうが・・・・どの程度まで入れてよいものか。
その時、本の最後の方の写真が目に入り思わず目を輝かせた。
最後にソースを作るんじゃねーかっ!!
そういえば以前安食堂で食べたハンバーグにも、赤いケチャップが
やたらいっぱいかかっていてハンバーグ自体の味などこれっぽっちも
しなかった。もし出来上がって味が薄くてもソースを
たくさんかければ良い話だ。同じ要領で胡椒をパラリとやると
一番楽しみにしていた"丸める作業"に取り掛かった。
『フライパンを火にかけて、熱くなるまで空焚きします。
(テフロン加工のものを除く)』
‥‥熱くなったかな?手で触るわけにもいかねぇし。
こう書くからには熱くなる前に事を運んじゃ具合が悪いんだろう。
ここはジックリ、温めて‥‥お、煙が立ってきたから十分だろ。
『油を大さじ1杯入れて、なじませます』
大さじ、大さじ、分かってるよ。このスプーンだろ?
ちゃんと用意は出来てるぜ。正確に量らねぇとな。
『十分油が温まったら、タネを入れてフタをします』
また温めんのかよ‥‥‥。油なんて入れた瞬間に泡がたったほど
十分熱されてるっつーの。
もうこれ、入れていいんだよな。‥‥おわっ!!!
なんでこんなに油が跳ねんだよっ!この写真じゃフライパンぎりぎりまで
手ぇつっこんでんのに‥‥。あっちっちー!!早くフタしねーと‥。
『強火でしばらく焼いた後、弱火にします。
焼き面に焦げ目がついて全体が白っぽくなったらひっくり返します』
しばらく・・・。少々とか、しばらくとか、何でこんな曖昧な書き方すんだよー。
3分!とか、5分!とか書いてくれりゃあ・・・と、もう"しばらく"経ったかな・・・。
弱火にして‥‥っと、そろそろいいだろ‥。
恐る恐るフタを開けた途端、モワッと黒い煙が立った。
‥‥‥‥!!!!
なんだこりゃ!!
慌ててフライ返しで焼き面をのぞくと真っ黒になっている。
これは‥‥明らかに"焦げ目"のレベルじゃねーだろ‥‥。
しばらく呆然と立ち尽くしたが気づいて慌てて火を止める。
全体が白くなるどころか上面はもちろん側面もまだ真っ赤っかだ。
どうしよう‥‥どうやら火が強すぎたようだが‥‥‥?
しばらく考えて、タネを一旦皿に取る。
油が真っ黒になったフライパンを丁寧に洗う。
もう1度火にかけ、今度はあまり温めずに油を敷いて
赤い方を下にしてタネを乗せた。
こうすりゃこれ以上は焦げずに中まで火が通るだろ‥‥。
弱火で、ジックリ‥‥。
そう思って立っていると、クンと焦げ臭い匂い。
‥‥しまった!!!
今のパニックでライスをすっかり忘れてた・・・!
鍋からもうもうと立ち上がる煙。こちらも慌てて火を消した。
どうする‥‥どうする‥‥‥。
ライスは炊き上がっても(恐らくこれ以上無いって位
炊き上がってるだろう)、すぐにフタを開けちゃいけないんだ‥‥。
中の様子が猛烈に気になったが本には赤ん坊が泣いても
フタを取ってはいけないとあった(意味はさっぱりわからんが)
はっとフライパンの方に意識が戻る。
やばい、やばい。こっちも気をつけなくちゃな‥‥。
焼き加減を見ようとフライ返しを突っ込むが
‥‥なんで持ち上がらねーんだよ‥‥‥?
完全にタネとフライパンがくっついている。
なんとか剥がそうと悪戦苦闘している内に、またぞろ煙が湧いてくる。
泣きそうになりながらフライ返しでガシガシやっていると
「おーい、そろそろ窓開けろー」
と、ジンののんびりした声がリビングから聞こえてきた。
食卓の上を見て、カイトは大きな溜息をついた。
クス炭のようなハンバーグ
パリパリと半透明になった狐色のライス
(8割がた鍋に焦げ付いたが、かろうじて2人分は皿によそえた)
すっかり忘れさられて、お湯の中でグズグズになった人参(味なし)
こんなはずじゃ、なかったのに‥‥。
「メシ‥‥‥(の様なもの)、出来ました」
悄然としながらジンに声をかけると、ジンはすぐに立ち上がって
ダイニングへやってきた。
「お、美味そうな‥‥あー‥‥‥」
「ハンバーグ」
「‥‥ハンバーグじゃねぇか!」
自分の作ったもんだし、責任持たないとな‥‥。
すっかり食欲は無かったが義務感だけで一口、口に運ぶと
当たり前だが見た目通りの味しかしない。
‥‥‥‥‥うげ。
カイトは諦めて、おカキ寸前のライスに塩を振って食べることにした。
顔を上げるのが怖かったが勇気を出してジンを見ると
真っ黒い塊を平気な顔でモグモグやってる。
そしてすっかり平らげると
「まーお世辞にも美味いとは言えないが、メシなんてもんは
腹がふくれりゃそれでいい」
と、澄ました顔で言った。
俺は腹もいっぱいにならなかったけどな。
カイトは心の中で悪態をついたが意に反して照れたような表情に
なる自分が恥ずかしくて、あわてて顔を伏せた。
しかし一口食べるとまた腹が減ってきて、パラパラのライスを
手に取って口に運んでいるとジンが言う。
思いがけず真面目な声。
「なぁ、カイト」
「なに?」
「お前の傷も治ったし、俺は明日からまた旅に出る。
もちろんハントだ」
「‥‥‥‥。」
「俺は今、クート窃盗団というのを追っている。
窃盗団といってもちゃちな集団じゃない。
でかい組織を作って世界中に拠点を持ってるが
俺はそいつらを残らずとっ捕まえようと思ってる。
別に誰かに頼まれたわけじゃないけどな」
「‥‥‥それで?」
「うん、それでだ。お前はどうする?
ここに残るか?まぁ付いて来たって、それ程危険な場所にはお前を」
「行くよ、付いてく」
即答だった。迷いはない。
ジンはちょっと笑顔を収めてカイトを見つめたが、すぐにいつもの調子で
「そうか。じゃ、今日は早く寝ろ。明日は早いから寝坊すんなよ」
と言ってダイニングを出て行く。
その大きな背中を見ながらカイトは思う。
もう、あんたから逃げ出すのは諦めた。
そのかわり、今度は追いかけることにする。
あんたが追いかけているものが何なのか、俺もこの目で見てみたい。
これまでカイトは運に任せて生き延びてきた。
これからもそれは、そんなに変わりがないだろう。
俺には惜しいものなんて何も無いけど、ジンに出会った強運だけは
俺は決して手放さない。どんな危険な場所に連れてかれても
その背中にむしゃぶりついたって離さない。
追いすがって、必ず付いて行ってやる
そしていつか‥‥いつか、ジンに追いつけたなら‥‥‥。
そんな先のことを考えても仕方がないか。
ちょっと鼻先で笑うとジンが振り返ってこちらを見たが
「別に」という顔をして、カイトは後片付けを始めた。
end.
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